ソウル時間旅行① 毎日がお祭り気分

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 秋色のソウル古宮でも散策しようと思い、10月中旬に嫁さんと訪韓した。しかしどこも温暖化とみえて、都心の木々は赤や黄色に染まり始めたばかりという感じだった(郊外の山は紅葉しているらしく、TVがさかんに紅葉狩り情報を流していた)

 二泊三日のうち古宮散策は中日にすることにして、まずは仁川から空港鉄道で弘大前に出た。

 弘益大学は総合大学ではあるが、デザインや音楽などアート方面の学科が非常に充実していて、著名なアーチストを数多く輩出している。だからもう芸大のひとつと考えてさしつかえない。
 イラストを描くのが好きな私の友人もここを卒業し、いまは憧れのデザイナーのもとで仕事をしている。

 繁華街は大学を中心に、扇状の広大な面積で広がっている。本稿では大学の真正面に限らず繁華街全域を「弘大前」と記す(すでに日韓の若年層はこの街と文化を『弘大』と称し、たとえば『その服、弘大じゃん!』なんて言い交わしていて楽しそうである)

 90年代中盤にここを訪ねたとき、大学の門前は手作りのアート街といった雰囲気で、地下ライブハウスがあり、周囲の民家の壁や塀にはびっしりとペンキの絵が描かれていた(地域ぐるみで学生のアート実践に協力したもので、毎年卒業シーズンに増えていった)

 それ以降も韓オタの私はほぼ毎年訪韓しているのだが、考えてみたらこの弘大前にはずっと来ておらず、今回は四半世紀近くのごぶさた訪問となってしまった。

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 弘大入口駅はかつて、乙支路循環線(地下鉄2号線)だけの駅だったが、今では空港鉄道と、さらにKORAILの京義中央線も入り、中規模の乗りかえ拠点に成長している。
 駅周辺には高層ビルが立ちならび、ずいぶん垢ぬけてしまった。

 駅から大学方面に向かう群衆には、高校生や外国人も相当混じっている。
 高校生は背伸び気分の上京観光(ことに将来弘大に入りたい子たちは下見をかねて遊びに来る)、外国人の中には留学生もかなりいるのだろう。弘大に限らず、韓国の大学は外国人を積極的に受け入れるようになった。

 少し歩くと、高度成長前期に多く建てられたレンガ造り民家に、文字のような記号のような、なんだかよくわからないものが描かれているのが見えた。ああ、まだ壁面アートはあるんだなーと懐かしくなる。
 続いてセックストーイの店。エッチな店もここではなんだか知的光彩をまとって見える。私の感性はいいかげんである。

 道を折れて緑陰の繁華街に入る。
 レストランやカフェ、ブティックなど膨大な数の店が集まっていて、音楽があふれ、そちこちでダンサーの卵たちがパフォーマンスをしている。

 西洋人のダンサーやラッパーも目立つ。韓国の観衆は感応がストレートで、盛大に拍手や歓声を贈ったりするから、欧米人も芸をやってて嬉しそうである。満面の笑顔で達成感をあらわしながら観客とハイタッチしてたりする。

 白人や黒人のこういう姿を見ると、「どうです東洋は楽しいでしょう」と、私も奇妙に誇らしくなる(・・のだが、わが国で同じ場面があったなら、観衆はマナーが良すぎて感応が控えめで、これほどの盛り上がりや笑顔は見られそうもない。外国人を歓迎する心は日韓同じなのだし、来年は東京五輪で《おもてなし》するんだから、もっと外国人にフランクに接するようにしたほうが絶対喜ばれる)

 なお週末などはK-POPの駆け出しグループも、練習と宣伝を兼ねて街頭ダンスをしに来るので、それを目当てに上京少年少女たちが弘大前に集まり大変な混雑となる。

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▲紅葉狩りにはまだ早かったけど、弘大前の緑陰の道でもぼちぼち色づいている木はあった。何にせよ街路樹の多い都市は気持ちがいい

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▲弘大前名物壁面アート。これは麻浦区内のギャラリーや学校などの名前が書かれている。再開発で民家のコンクリ塀が減ったせいか、この種の描画もあまり見かけなくなってしまった

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▲緑陰の散策路にあるセックストーイショップ(右)。こういうトコにあるとスゴクステキな店に見える。いや実際素敵ですけどね

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▲平日の真っ昼間でも路上パフォーマンスをあちこちでやっている。これが従来の壁アートに替わる弘大前名物になっていくのかもしれない



 時間は平日の昼下がりだが、緑陰を進むにつれどんどん賑やかになる。この賑わいと華やかさこそ韓国の大学門前町だ。90年代に訪れたとき、学生に誘われて入った地下ライブハウスだって大学の真正面にあった。

 日本では「学ぶ環境にふさわしくない」として、門前にこんな繁華街は形成されない。韓国にも同じ感性はあるのだけれども、しかし繁華街になってるほうが楽しいから、大学側もうるさいことは言わない。楽しいことはすべてに優先する。こうして韓国の都市は毎日がお祭りモードになっていく。

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 それにしても、さっきのダンサーたちもそうだが、道行く外国人がほんとに多い。
 いや、私と嫁さんもここでは外国人なんだけど、まあそれは棚に上げておいてだ。
 白人と黒人はすぐ判るとして、黄色人種もそばに寄ってみると日本語や中国語や、タイ語だかマレー語だか、私には特定できない東南アジアの言葉を話している。ヒジャブ(ムスリムなどの女性が頭部を覆う布衣装)をまとった女性もいる。

 ここ数年、韓国には外国人がきわめて増えた。これは一般的なビジネスや留学のほか、開発途上国からの出稼ぎの激増が背景にある。
 出稼ぎ労働者の法的扱いが、日本同様の「技能実習生」から「外国人労働者」に昇格となり、労働基準法の適用が認められた(※Ⅰ)。

 当然、韓国にもゼノフォビアはあり(これがまあご丁寧に日本同様、白人様相手にはあまり発動しないときている)、出稼ぎ者たちに職を奪われるという声もあるのだけれど、政府は「出稼ぎ歓迎によってホラこんなに世界的評価が上がったんだぞ我が国スゲー!」とナショナリズムをくすぐり、というか混ぜっ返し、何が何だか判らなくしている。国民総右翼に仕立てあげている政府であるから(※Ⅱ)こういう手管は慣れたもの。右向け右をくりかえすと元に戻るのだ。

 補足すると日本は現在、この分野で韓国に後れをとっているわけだが、これは「様子見」をしているのであって無関心なのではない。
 いずれ日本も大量の外国人を受け入れねばならない。それなら酷似するゼノフォビア、酷似する労働環境を持つ隣国がこれをやったらどうなるか、しばらく観察というわけであって、かつて韓国が近代社会形成の分野で日本の様子見をしたのと同じである(※Ⅲ)。

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 さて、かように外国人だらけになり、外国料理の店も増えた。
 もともと日本料理店は多いがここもそうで、「大阪夜市」という店の数軒先に「東京夜市」があり、さらにその近くには「京都ラーメン・豚人」なる店も・・・。
 「豚人」にはハングルで부탄츄(ぶたんちゅ)とルビが振られている。京風ラーメン店でナゼ沖縄弁? 京都なら「おぶうはん」である(嘘)。
 ・・・というか、そもそも豚人ってなんやねんな(笑)。

 そして中国料理。庶民街によくある “チャジャン麺も八宝菜もなんでもある” 的な感じではなく、何かひとつのジャンルに特化した店が目立つ。

 たとえば中国式の激辛鍋専門店。「火鍋」に훠궈(フォグォ)とルビを打ってある。韓国音では화과(ファグァ)であるから、これは中国音の転写。日本で餃子や焼売をコウシとかショウバイと読まずギョーザ・シューマイと読むのと同じ感覚だ(※Ⅳ)。

 탕후루「タンフル」とハングル書きした屋台もみつけた。「糖葫蘆」と漢字併記がある。
 たくさんの鮮紅色の玉が串に刺さっており、これをアイスキャンディのように上からかじって食べる(※Ⅴ)。
 表面は飴がけ、中はイチゴやミカン、ブドウなどのフルーツ。

 割と最近に韓国に入ってきたもので、若者たちに人気がある(訪韓日本人にもウケているのでそのうち日本にも入ると思う)

 ちなみにこれも先の「フォグォ」と同じで中国音の転写。
 糖葫蘆は韓国音では탕호로(タンホロ)でありタンフルとは読まない。

 あと、タピオカミルクティはやっぱり流行っていて、「黒花堂」と漢字表記の看板の店が何軒もある。こちらではボブルティ(バブルティ)と称する。

 東南アジア料理のお店や屋台もあり、その国から来た人たちがお国訛りの韓国語で掛け声高らかに売っていたが、すみません漢字オタクなんで漢字推測遊戯の適用範囲外のものは忘れちゃいました(でもここを散策するうちタイ語とミャンマー語の文字が区別できるようになったじょ!)(←ひらがなカタカナとハングルも、東南アジアや欧米の人にとってはこんなふうに、意識して見比べないと区別できないものなんじゃないかなーと思った)

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▲タンフルの露店。ここのはイチゴの飴がけ。本家中国のはこんなにポップな色ではなく濃赤色や茶褐色

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▲黒糖バブルティ(タピオカティ)の店「黒花堂」。韓国資本のチェーン店で、今年東京と大阪に出店した(『こっかどう』ではなく韓国漢字音の『フッカダン』での日本進出)



 タンフルの露店のそばには、先述したレンガやコンクリ製の古い民家をリメイクした店が並んでいる。
 日本でも高度成長前期の建物は武骨で、経年とともに建て増しや改造がなされてツギハギだらけとなり、独特の年季を感じさせるものだが、韓国のそれはもっとすごい。
 高度成長の速度が速かったため(※Ⅵ)丁寧に造られておらず、あちこち崩れたり傾いたりしている。

 90年代後半、こういう民家群は全国的に解体・新築化が進められたが、私は時代を経た建物のツギハギ感や使い込まれ感が好きなので、安全補強を施した上でレトロスポットとして残すほうがいいと思っていた。
 こういう建物の密集するタルドンネ(※Ⅶ)という庶民街など、再開発で絶滅する前にアート風にめかし直し、観光地化も可能だと考えた。そんなアイデアは「恋するアジア」(現在廃刊)など、好事家雑誌に提案記事として何度か書いた。

 ・・・で、やはり同じことを考えていた韓国人デザイナーも多いとみえ、現在そういう趣向のお店は全国的にものすごく増えている。
 タルドンネ全体のアート化も、釜山の甘川文化村(※Ⅷ)をはじめ各地で実現している。
 韓オタとしてはアイデアが活かされたみたいで鼻が高い(記事書いただけで実際に提案したわけじゃないから妄想なんだけどネ)

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高度成長前期の建物を改装した店。使い込まれたツギハギだらけの外装を覆わずにわざと見せている


 そういえば、話題飛ぶけど、私が前にここに来た90年代、学生街というと延世大や梨花女子大の門前周辺にあたる新村エリアが代表的存在だった。
 それで、当時韓国の若者文化についてよく書いていた私は、訪韓するとたいてい新村エリアに足を運び、延大生や梨大生にインタビューしたりしていた。

 しかし、あるとき当の延大生から「これからは弘大前が面白いですよ」と勧められた。
 いわく、新村は華やかだけれど、ある種完成されてしまっている感がある、インディーズ的な新しいものが生まれる土壌は、これからは弘大前だ、あそこはデザイナーやミュージシャン志望の子がたくさん在学している、あいつらは既成概念にとらわれない突飛なことを思いつくから、絶対面白い街を造るはず云々・・・。

 ふーんと思い、初めて弘大前を訪ねたら、大学の正門前にいかにもアングラですと言わんばかりのライブハウスが並んでるわ、周辺の民家は壁アートまみれだわ、道行く学生どものファッションはぶっ飛んでるわで実に面白く、その晩はライブハウスで音楽オタクたちと片言の日韓両語を交わしながら遅くまで楽しんだ。

 なるほどここは将来韓国のインディーズシーンを背負って立つだろうなあと思えたし、現に四半世紀後のいま、国際化という追い風も受けてフリーダムアートの発信基地になっている(新村とも距離的に近いので、繁華街の拡大で両者はつながってしまい、現在では都心西部に広がるひとつの巨大学生街として認識されている)

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 余談だが、愉快だったのが初弘大のあとで訪ねた高麗大学での学生の反応だった。
 当時ソウル大・延世大・高麗大は、東京の東大・慶応大・早稲田大にたとえられていて、ソ大が知性、延大が軟派のイメージであるのに対し、高大は硬派でバンカラ、伝統的な「漢」の居場所であるとされていた。

 ゆえに女の子とちゃらちゃらデートするようなケシカラン新村・弘大エリアなんぞ、高大生にとっては存在すら認められないのであって、私がうっかり新村の話題を出したら
「新村? そんな街は韓国にありませんなァ! がっはっはっはあ!」
 と豪快に笑われたりした。

 むろん面白がって言ってるのだが、しかし当時の高大生は本当に硬派、というか昔カタギの学生が多く、仲間と下宿(※Ⅸ)で焼酎を飲みながら憂国を語り明かすような日々を送っていた。

 今ではさすがに高大生もずいぶん色っぽくなって、バブルティ飲みながらデートするようになっているのだが、考えてみると軟派な延大生やアート気質の弘大生も、若年期に一度は徹底的なオトコにならなければならない。

 年がら年中お祭り気分のこの国にも、まだ徴兵制は敷かれているのであって、醤油をがぶ飲みしようが僧籍に入ろうが、1年半のこれを逃れることはできないのである。

 私は若い頃ずいぶん韓国を取材してきたけれども、さすがに兵舎内での生活体験はない。しかし兵役上がりの人々の話を聞くにつけ、並大抵の根性では耐えられないほどツライ日々であることが判る。

 厳しい規律の中で集団生活するむくつけき兵隊と、弘大前をそぞろ歩くスィーツ男子の姿とは重ならないこと甚だしい。重ならないのだけれども・・・しかしやはりこの二者は、どうしても同じ韓国男子たちであるのだ。
 まあ、国軍のほうもまるっきり旧態依然としたやり方では若者がついて来ないので、規範内でどうにか現代的な楽しみを供すべく、軍なりにそこそこ工夫はしている(※Ⅹ)。そのあたりはまた機会があったら話す・・・いや、やっぱ男だらけのところの話なんか書いてもつまんないからやめとく。

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 大幅に話がそれたが、次回では嫁さんのリクエストで弘大前の一角にあるチョコミント専門のカフェに行った話を書く。そのあと毛糸工房の跡地のカフェで毛糸玉の形をしたケーキ。
 ・・・なんつーか、こういう、ちょっとした店をポンポン探し出す女のサーチ能力には感心するわ。まあ嫁さんは嫁さんで、変な列車が走ってる鉄道とかを探し出す男の嗅覚に驚いてるんだけれども。

 では次回。

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※Ⅰ= 90年代末に出稼ぎのミャンマー人女性が明洞聖堂に立てこもり「我々も人間である!」と訴えたことで社会の関心が集まり、待遇改善へと政府が動き始めた。
 現在すべての市町村で出稼ぎ外国人の労働環境保証がうたわれているほか、ソウル郊外の安山市などが多国籍・多民族の共生モデル地区となったり、済州島(道)が移民受け入れのお試し地域になったりしている(特例法発動の必要性から行政区分上も『済州特別自治道』となった)。なお当然ながら出稼ぎと移民では、入国や滞在に関する手続きなどが異なるが、労働に関しては同じ労基法が適用される。

※Ⅱ= 歴史や立地をみるに、これは仕方がない。日本統治から独立したときには自国文化を知らない者や、はなはだしくは自国語すら話せない者が数多くいて、独立時に日本の「愛国行進曲」をお祝いの唄として皆で歌ったという話もある。
 すなわち日本統治後期および独立直後には自分がナニ国人なのかよく判らない層ができてしまったうえ、社会には日本由来の文物がたくさん残っていたから、うちは韓国なのであると国民に強く認識してもらう必要が政府にはあった。また、朝鮮戦争後の北朝鮮との対峙および中国やロシアと地続きであることを考えると、思想信条は自由であるものの最低限のところでどうしても愛国的であってもらわねばならない。

※Ⅲ= たとえばベッドタウンと通勤電鉄の新設を同時に行うことは日本から学ぶ一方、日本のベッドタウンが一戸建て志向によって平べったく広がり、途方もない遠距離通勤が出来(しゅったい)したのを見て、これは採りいれずに高層化(立体化)をはかった。
 朝鮮半島は岩盤地層なので高層マンションは建てやすいものの、「男子たる者一国一城の主となれ」的な感性は日本同様にあって、やはり一戸建て志向の人が多かったため、高度成長期の政府は意識変化を促そうと「郊外のマンションでゆとりある暮らし~♪」なんてPRに努めていた。
 現在ソウルや釜山など大都市の近郊には、20~30階建てのタワーマンションで構成されるニュータウンがいくつも出来上がり、お年寄りの中には「山河の美観が台無し」と嘆く人もたまにいる。しかし、一戸建て造成と違いタテに伸びた街であるから面積は小さくて済み、山河美観は局所的には損なわれたものの山河そのものは比較的保全された。また、都市圏のまわりを緑地帯で囲むプラン(英国式グリーンベルト構想)も、一度は頓挫したがふたたび実現されつつある。

※Ⅳ= ただ「フォグォ」が火鍋のこととして多くの人々に理解されているのかというと疑問である。日本でもかつて、「チンジャオロース」とメニューに書いてあってもみんな「ピーマンの牛肉炒め」なんて言ってたけど、あんな感じなんじゃないかと思う。
 ちなみに日本で「餃子」をコウシと読まず「ギョーザ」と読むのは、韓国音の「ギョージャ」(北朝鮮では発音の特徴として j の z 化がみられるためモロ『ギョーザ』)が定着したと思われる(日韓中国人が混住していた満洲からの引揚者が日本に伝えた。中国音では餃子は『チャオズー』)。現在の韓国では餃子はたいがいマンドゥ(饅頭)という。

※Ⅴ= 団子のような形をしているが、外装の水あめは上から下までつながって固まっているため、かじった瞬間にパキパキッと最下部まで割れることがあり、食べるのには結構コツがいるのだそうだ。

※Ⅵ= 韓国自身が威信をかけて経済成長を急いだということもあるが、それ以前に米国と日本が「韓国が途上国でいること」を許さなかった。ことに米国にとって日韓両国は、中朝ソに対峙する西側勢力の防波堤であって、体力をつけてもらわねばならなかった。そして日本列島の防波堤化はそろそろ飽和状態に近づいていたため、韓国も早く成長して強い盾になれなれとせっついていた。

※Ⅶ= タルドンネは直訳すると「月の町」。高度成長期に都市の平坦部は企業のビルが占拠し、外郭部の宅地造成もニーズに追い付かなかった。かくて膨大な上京人口は収まる場所がなくなってしまい、やむをえず彼らは丘陵地にコンクリやレンガの家を建てて住んだ。通勤通学に急坂を上下するのは大変だが、夜景だけは高級ホテル並みにきれいで、名月や星空がよく見えるので「月の町」と呼ばれるようになった。

※Ⅷ= 釜山市西部・甘川地域の急峻な山肌に貼りつく古い家屋群を、デザイナーや美大教授が共同プロデュースし、カラフルに塗装するなどの整備を行なった。空き家がギャラリーやカフェとして再活用されたり、廃業した沐浴湯(銭湯)などが歴史遺産として保存されたりしている。釜山には甘川以外にも観光地化したタルドンネがいくつかある。

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   ▲甘川文化村

※Ⅸ= 昭和時代の日本の下宿とほぼ同じもので、名称も同じ漢字の「下宿」(ハスク)。
 90年代中期まで、大学進学で上京した若者はソウルの知り合いの家に居候させてもらうか、下宿に住むかが定番であった。しかし当時からぼちぼち「プライベートはひとりで過ごしたい」という学生も増えてきていて、彼ら向けの廉価なワンルームマンションが学生街に現れはじめた。だが廉価といってもそこそこ値は張るので、コスパとプライバシーを両立するために狭さを我慢して高試院(レンタルの勉強部屋。個室ネットカフェのはしり)に住みつく者もいた。
 2000年代に入ってからは、ルームメイトをさがして寮や学生マンションに住む欧米スタイル(ひとりがよければワンルームだが、日本ほどには好まれない)が普通になった。現在下宿は日韓とも、絶滅してはいないもののすっかりレトロかつ稀少な存在となり、名物のおばちゃんが世話を焼いてくれるでもなく、実質的にマンションと変わらないプライバシー尊重型に変化している。

※Ⅹ= 現在、軍の売店では一般娯楽品や嗜好品のみならず、音楽や車バイク、アニメ雑誌のような趣味本もたくさん売られている。
 90年代には萌えキャラの載ってるアニメ誌など御法度で、若い兵は休暇日に町の本屋で買い、こっそり読みまわすのが普通だった。ある兵舎で若い兵たちがアニメ誌を読みまわしていたら上官が来て「こんなもの読むな!」と怒って取り上げた。没収された翌日の朝、その部屋の面々だけが起きてこないので、上官が叱りつけてやろうと部屋に入ると誰もいない。不思議に思って立ち尽くしていると、ベッドの下に隠れていた兵たちが飛び出してきて上官を拘束、アニメ誌を返させたうえ、若者文化を理解するよう要求した。
 こういう事件があいついだことから待遇が少しずつ改善されていった。また、文在寅の軍縮政策により兵役期間は従来の2年半前後から1年半前後に大幅短縮された(陸軍および海兵隊18ヶ月、海軍20ヶ月、空軍22ヶ月)。
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プロフィール

遠森慶

●国内旅行・韓国旅行・言語・文字・イラスト・共感覚など。

●コミュ障気味なんでコメントは受け付けてません。スマヌ。

●1964年東京生まれ大阪在住。男性。

●pixivをメインに活動しています。
http://www.pixiv.net/member.php?id=12569897

●一応ライター。拙著は書店やアマゾンでご購入いただけます。お仕事のご依頼などは以下のメアドにお願いします。
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