ソウル時間旅行② ぶどうの下の猫

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 弘大前散策のつづき。今回は嫁さんが行きたがっていた店のひとつ、チョコミント専門のカフェ「ミントハイム」で休憩したり、路地をぶらぶら歩いたりした話を書く。

 いや、書く前に、私の体調について少し。

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 私は生まれつきいろんな病気を持ってたもんで、幼いころから通院と服薬の生活を送ってきた。中でもステロイドは塗布・吸引・内服、ずーっとお世話になってきた。
 ステロイドは名薬だが、長く使うと副作用の懸念もあって、50歳の春に通院先で血糖値の異常上昇が確認された。
 いわゆるステロイド糖尿というやつで、初期だったからすぐ正常値に戻ったものの、高血糖は全身に負担をかけていたらしく、それまで薬で抑えていた他の持病がぞろぞろ発症した。結局1年以上、病床から起き上がれなかった。
 もうあんな日々はゴメンなので、以来私は甘い物絶ちをしている。血糖値はずっと安定しているから、食べ過ぎなければ甘味も摂っていいよと医師には言われているが、病床でのたうちまわった地獄が思い出され、恐ろしくて手が出せない。


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 ・・・というわけで、今回のミントハイムでもノンシュガードリンクを飲んでおこうと思っていた。
 が、ケーキの並んだショーケースの中に小さなマカロンがあり、これくらいならまあいいかと思ってひとつ食べることにした。鮮やかなペパーミントグリーンの、チョコミントのマカロン。

 ショーケースの中では小さく見えたのだが、目の前に来てみるとこれがかなりデカイ。
 韓国では何でもかんでも日本の1.5倍くらいデカイのである。道路の幅や建物、食器やインテリア、動植物に至るまで全てのものがデカイから縮尺が狂い、食べ物が目の前に来るまでその巨大さに気付かない。
 まあ例外的に日本と同じ大きさのものもあり、たとえば自動車は主力輸出品のひとつでもあるから、ヒュンダイでもキアでもデウでも世界平均大で製造している。だけどいちいち店内に自動車を持ち込んで、ボンネットにマカロンをあてがい「あー、こりゃデカいわー」なんて縮尺するわけにはいかない。

 だもんで、もうせっかくだからこのデカイマカロンも食べることにした。
 前述の通り甘い物は五年間も食べてない。ごくたまに食べるカロリーメイトの平凡な甘さ以外、舌がすっかり忘れてしまっている。

 その五年ぶりの本格的甘味がチョコミントという、いわば風変わりなものであるから、これは相当覚悟して舌に載せた。それでも案の定、私の脳は混乱した。
 これは食べ物か!? この味は、飲みこんでいいものだったか!?
 むかしチョコレートを食べたあとで歯を磨いたときの味。練りハミガキとチョコの混ざった味である。

 混乱しながら、私は一所懸命マトモな記憶、夏の日にチョコミントアイスを食べて幸せだった思い出をたぐり寄せ、これは食べものなのであると脳に言い聞かせた。
 ひとくち、ふたくちはハミガキの気分だったが、それ以降は脳が承認してくれたらしく、とてもおいしいと思えた。

 ああこれがチョコレートの甘さだなあ、これは中毒性があるんだよなあ。
 早いとこ忘れてしまわないと甘味絶ちが失敗するなあ。

・・・などと逡巡しつつも、舌の上は天国のように幸福で、脳が快哉を叫んだ(脳にとって唯一の栄養は糖分である)やはり甘い物はすばらしい。

 さて、私のマカロンでさえ大福餅くらいのボリュームは優にあるから、嫁さんのミントチョコ・ファジーケーキたるや何とも壮大なしろもので、皿の上にそそり立つ三角の姿はまるで梅田のヘップナビオだ。
 さしもの甘党の嫁さんもその巨大さに驚きながら、しかし果敢にも阪急東交差点側から解体工事に取りかかった。さすが大工の娘である。ひとくちもらったが、これもかなりおいしかった。

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 この店はメインストリートから少し外れたところにあり、コンクリとレンガで造られた民家を改装してある。第一回で述べた「高度成長期の粗製建築」ではなく、ちょっと豊かな家だったようで各部の造りがしゃれているし、構造もしっかりしている。

 本来の門扉(普段は閉鎖)と建物入口との間は、小さな庭のようになっていて、ぶどうの木があり、紫色の房がたくさん下がっている。
 庭木のぶどうとは思えないほど豊かで艶のある房で、この木の下には黒白マダラの猫がうろうろしていた。

 私はどういうわけか猫に好かれるので、ここでも遊んでやろうと思った。
 猫を呼ぶとき、たいがいの人は鳴きまねをするが、私がそれをしてもぜんぜん寄ってこない。そのかわり人語で敬意をもって「どうジョ、いらっチャい?」なんてお招きすると、すぐ寄ってくるのである(猫バカなのでどうしても幼児語になるが、低いしゃがれ声で話しかけてやるとよく感応する)。

 ・・・で、ここでもそれをしてみたのだが、猫は振り返るだけで相手にしてくれなかった。
 なぜかなと怪訝に思っていたが、帰国後考えるに相手は韓国の猫、日本語が通じないのは当たり前である。「よぎえ、おチェよぉ?」とかなんとか言えば来たのかもしれない(そうかァ?)

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▲ミントハイムの入口。なかなか凝った造りの民家を改装してある。写ってないが左に路地があって、そこを入ると本来の門扉があるのだが、普段は閉鎖されている

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▲店の入り口近くにはぶどうの木。結構立派な実がなっている

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▲ぶどうの木の下をなわばりにしている猫。来客を迎えたり見送ったりしてくれて、このカフェの雰囲気に溶けこんでいる

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▲私のミントチョコマカロンと、嫁さんのミントチョコファジーケーキ。
 今回の旅はカフェ巡りとなったので、いわゆるコングリッシュ(韓国式発音の英語 ※Ⅰ)をずいぶん使うことになった。
 ミントチョコファジーケーキは「ミントゥチョコジ・」(赤字は激音で、息を強く吐き出す感じで発音する)。
 韓国のミントファンはミントチョコを「ミンチョ」と略しており、オーダー時もミントチョコファジーを「ミンチョポジ(민초퍼지)」と言っていた。

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 さて猫の話。というかペットの話。
 愛玩動物はほぼすべての国で犬が最も好まれ、世界平均ではペットのいる家の約7割が犬を飼っている。
 ・・・で、残りの約3割の中で最多が猫。
 ここまでは各国同じであり、3位以下は国によってウサギとか小鳥と続く(中国だけは逆で1位が猫、2位が犬)

 そして日本も韓国もやはり「犬>猫>その他」なのだけれども、90年代中盤までの韓国では猫を飼う家はかなり少なかった(※Ⅱ)。
 たまに飼っていてもネズミ取りのためで、昼間はヒモでつながれていたりした。夜は自由の身になれるのだが、旅行者としては昼間のつながれた状態しか見ることがなかったから、可哀想に思ってツナ缶を食べさせてあげたりしていた。

 90年代後期になるとメディアが猫の可愛さを紹介するようになり、犬情報ばかりだったペット雑誌に猫のコーナーが設けられたり、ドラマに猫が登場したりしはじめた。
 放し飼いで猫を飼う人が続々と現れ、ペットの中の猫比率もだいぶ上がる。
 ・・・が、この時期、ゴルフの朴セリ選手がウサギを飼っていたことからウサギブームが到来、犬>ウサギ>猫という順位となった。

 ウサギブームが去ったのち、猫の可愛さは猛然と認知されるようになる。
 街には猫カフェが現れ(※Ⅲ)、猫グッズがヒットし、猫にべろんべろんな猫バカ家族がTVで紹介される。

 2010年代になると、韓国語のオノマトペで「アオン」「ヤオン」である猫の鳴き声に「ニャー」「ニャオン」などが加わる。
 これは日本の漫画の韓国語訳の影響もあろうし、また、実際にニャーと聞こえるようにもなったのだろう。

 猫は現金な動物で、自分をあやしてくれる人には露骨に甘えた声でニャーと鳴くが、関心を持ってくれない人に対してはただアーとかオーとか、怠惰に声を発するにとどまる。
 つまり猫をあまり飼わなかった時代の韓国では、オノマトペが物語るとおり、人が近寄っても猫はアオーンと鳴くだけで甘えず、90年代末ごろから人の関心を察知してニャーと鳴きはじめたのである。

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 ・・・いかんいかん、猫バカ丸出しの文になってしまった。

 それにしてもこのカフェは素敵だ。静かで落ち着いていて、果樹の下で猫が遊び、それを眺めながらミントの香りが楽しめるというのは風趣がある。
 民家を改装した店だから店内は広くなく、テーブル数も少なくて、お客は皆静かに談笑している。
 私は庭が見える窓際席についていたから余計に「民家感」を味わうことができ、なんだか友人の家を訪ねて茶菓のもてなしを受けている気分になった。

 緑陰のメインストリートは路上パフォーマンスや国際的雰囲気があって良いのだけれども、ずいぶん繁華になってしまい、50歳すぎの夫婦にはいささか賑やかすぎる。この店を出たら路地を散策してみよう。

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 ミントハイムを出て一旦メインストリートを歩き、横道に折れて、さらに適当な路地にくねくね分け入っていく。
 ソウルは起伏地形に造られた都市なので(※Ⅳ)、坂道や迷路のように入り組んだ路地が多く、緑被率も高いので散策が楽しい。
 曲がりくねった細道や、急勾配の階段の先にいったいどんな風景が広がるのか、歩いていてワクワクする。

 適当に路地を入っていったら、オレンジ色に塗られた風変わりな形の建物があり、標示してある文字を見るとダンススタジオだった。
 高層ビル群を背景にして、都市の谷底みたいなところに隠れるように建つスタジオ。
 ソウルの路地を歩いていると、こういう「文化を作っているところ」をよく見かける。
 芸能スタジオ、デザイン事務所、出版社やアート工房などなど、クリエイト業界の建物は表通りであまり見かけず、静かな路地に澄ました感じで佇んでいる。
 ああ、夢を抱いて上京した若者たちが、この路地の一画で成長していくのだなーと想像すると、私はもう若くないのに彼らと夢を共有した気分になれて胸が高鳴る。

 この感覚には個人的な郷愁も加わっている。
 私の故郷、新宿区の奥地は、路地に小さな出版社とデザイン事務所が多かった。
 東京のメディア業界のオフィスは表通りに建っていることが多いのだけれども、わが新宿の奥地ではなぜだか路地によくあって、印刷屋でバイトしていた私は毎日、配達でそういうところに出入りしていた。
 都市の底みたいな路地のデザイン事務所に行くと、いかにも新人デザイナーでございという風貌の若い男性が迎えてくれて、暇なときは世間話をしてくれた。
 わざわざ業界言葉を多用して語られる彼の上京話から、私は都市というものが、人の夢を託されるものなのだと理解した。この体験などが、のちのちの私の都市散策趣味につながっている。


 よく都会のイメージ画像に大通りの写真が使われたりするが、本当に都会らしい空間は路地だろうと思う。特に谷底みたいな路地風景は、建物の密度が高くないと出現しない。
 ・・・で、そういう都市ならではの空間に、文化をつくる人々がいて、夢を追いかけているというのは良い。大通りにバーンと建ってるよりも詩がある。

 私は都市も郊外も田舎も好きで、あちこち旅行に行くけれども、都市を旅したときには上記の理由で、必ず谷底みたいな路地を歩く。
 このあいだ新宿に帰省したとき、かつて印刷物を配達して回った路地を再訪したら、真新しい住宅群に変わっていた。路地の見栄えは綺麗になったけれども、行けども行けども民家ばかりで、何か、あそこで夢が創造されていくというトキメキがなくなってしまった。
 街区が変遷していくのは、その都市が生きている証拠であるから良いことなのだが、何となく、ねえ・・・。

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 さて話をソウルに戻すが、述べた通りソウルは山がちな都市で、変化に富む路地には事欠かない。しかもスタジオやファクトリーのような夢づくりの場が、大通りよりも路地にありがちという傾向も加わるから、散策するのが楽しい。

 ただ、牛込の丘陵地などを抱える新宿区の起伏が「ちぃと地面が腫れとるようなもん」(by愛宕山(上方落語)に思えてしまうほど、ソウルの坂道や階段は急勾配だから、この都市の路地歩きには体力が要る。

 旧市街・鍾路区のアンティークタウン仁寺洞のまわりや、伝統家屋が残る北村エリアなどをうねる路地には、人がすれ違えないほど道幅が狭いところがある(※Ⅴ)。南山の斜面を下る路地は、いきなり人の家の縁側をかすめたりする。
 カドを曲がったら唐突に、これはもう垂直かと呆れるほどの急な階段が現れる路地も、これまた佃煮にするほどある。まあ、そういうふうだから車やバイクが入ってこず、ぶらぶら歩きに向いているのだけれども、とにかく脚力は要る。

 愛すべき庶民街のおばちゃんたちが、シワだらけの老婆になってもなかなかしっかりした体躯をしているのは、こういう街の構造によるところが大きい。

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▲メインストリートから横道に折れる。空を電線が覆う光景はアジア名物なのだそうで、東アジア電線写真集なるものをこしらえた西洋人フォトグラファーがいるらしい。日韓とも最近のニュータウンは地下埋線で、空の眺めがすっきりしつつあるが、私はこういう電線だらけの裏道も結構好き

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▲都市の谷底を這う路地にダンススタジオ(左)がある。この一画は私の故郷新宿の奥地にそっくりな風景で、懐かしくてしばし佇んでしまった。何しに外国旅行してんだか・・・

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▲うねる細い路地にもカフェが点在し、静かでなかなか良い雰囲気。壁の絵は店が描いたもので、むかしの弘大前名物の壁アートとは異なるが、ちょっと往時の面影がある。コーヒー豆の上のハングルは「 花より[ ] 」(※Ⅵ)で、カッコ内に「お菓子」「食欲」などの語を空想させる、あるいは落書きさせる趣向か?(でも誰も書いてません。落書きはダメですよん)

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▲いろんな香りのせっけんを量り売りしてる店。泡立てたせっけん水を看板代わりに道端に出している。ボウルの中で泡全体が生き物のようにプクプク動いていて面白い。こういうちょっとしたものにも、心なしか弘大前を感じる。

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▲黄昏が深まると店々の照明が映える。はじけた街の中にこういう輝度を抑えた光があるのも芸大の門前町だなーと思う。
 よく日本のメディアは韓国の電飾の「色」の、インパクトや見慣れなさ、高彩度感などを言い表そうとして「原色」という語を安易に使う。しかし原色というのは赤や黄色や青のことであって、それはむしろ日本と、それから中国に多いのである。
 韓国の色彩嗜好は圧倒的に「高彩度中間色」で、エメラルド色や若草色、赤紫、藤色がかったピンクなどが非常に好まれる。
 韓国は「色彩」に関して強いこだわりがある国で、私はこれにとても興味を持っているので、何か別の機会に詳しく記そうと思っている。

     *****

 次回はソウル駅をまたぐ遊歩道橋で、ユーラシア横断列車の夢を歌うミニコンサートに出遭ったことなどを書く。
 釜山発パリ行きの列車を走らせたいという壮大な歌を聞いたときから、私のこの旅には「京城」がまつわりつくようになり、それがこのシリーズに「ソウル時間旅行」のタイトルをつけた理由である。

 私は韓国に、かつての日本統治の痕跡をさがす趣味はあまりない。レトロ趣味のひとつとして興味はあるけれども、いざ訪韓したらせっかくの海外旅行、その国らしさを見たいではないか。
 それに日本統治が終わってからもう74年の長い年月が経ち、さらに解放後、朝鮮戦争と国土近代化があって、日本の痕跡などそうそう残っているものではない。
 ・・・が、今回の旅ではソウル駅、それも旧京城駅舎のほうにかかる橋の上で、むかし日韓がともに抱いた夢であるユーラシア横断列車の歌を聴いてから、不思議に私は「京城」の迷宮に入り込んでしまったのだ。

 ・・・というわけで、次回以降はそういう展開になります。
 まあ、迷宮といってもホントに異空間に入ったわけじゃないから、眼前に現れつづける京城は京城として脳内の別フォルダーに収納しながら、現代のソウルの魅力をガッツリ堪能したんですけどネ。←ネだネ!

ほんじゃ、また!

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※Ⅰ= 日本式英語も韓国式英語も原語の特徴をかなり引きずるので、英語ネイティブにとってはどちらもアクが強く聞こえるらしい。
 たとえば broker は日「ブローカー」、韓「プロコ」であり、これは語頭の濁音有効および長音のある日本式のほうが英語に近い。
 逆に multimedia は日「マルチメディア」、韓「モティミディオ」で、モ・オの開音( やや a っぽい o 母音 )、ルの子音止めなどができるため韓国式のほうが米英人に通じやすい。いざ本格的に学習するとなれば子母音数が圧倒的に多い韓国語話者のほうがやや有利ではある。

※Ⅱ= 日本は2017年の国内調査で、ペットの個体数において初めて猫が犬を上回った。これは猫を複数飼う家が多いためで、戸数では依然犬を飼う家のほうが多い。しかしすでに中国を制覇している猫勢力はアジアの完全征服を企てており、わが国での戸数逆転も時間の問題である。猫おそるべし!
 また韓国も반집고양이(パンジプコヤンイ・半いえねこ)は昔からかなり多かった。路地をうろうろしながら周囲の家々からエサをもらって生活する、野良猫のような飼い猫のようなやつらである。急坂や階段が多く車やバイクが入って来ないうえ、何やかやと散らかっていて物陰が多い韓国の路地裏は猫にとって暮らしやすかろう。まして猫べろんべろん家庭が激増していることを考えると、こりゃもう韓国の陥落も近い。
 米国は東アジアの赤化を列島&半島の軍備増強で防ごうとしているが、ニャー化はどうにもこうにも防ぎようがない。

※Ⅲ= 弘大前繁華街にも「猫がやってる漫画カフェ」なるものがある。正確には「고양이가 운영하는 만화카페」(猫が運営する漫画カフェ)。漢字語志向率が日本より少し高いだけでこれほど厳格な印象をかもすのであり、言語オタクとしては楽しくてしょうがない。
  昨年の訪韓時、スーパーで品出しをしてるパートのおばちゃんに「ペットボトルのお茶ある?」と尋ねて「ボトル? ああ液状緑茶ね」と言われたときなど、あまりの歓喜でおばちゃんを抱きしめたくなった。

※Ⅳ= アジアの都市は仏教や陰陽道の縁起で場所をさだめたものが多く、ソウルもそのひとつなのだが、由来を調べてみると何だかいいかげんである。
 高麗王朝を滅ぼした李成桂が、朝鮮王朝の新首都を定めるにあたり、高麗の首都・開城(現在北朝鮮領)から使者を放つ。使者は半島を延々南下し、漢江のほとりで不思議な僧に出会って、「ここから西に十里いったところに新都をつくりなさい」と進言された。
 言われたとおり西に折れ、十里(韓国の1里は約420mなので10里は約4.2km)進んだところに王宮を置くことにした。この不思議な坊さんなるものに会った場所が「十里往く」の意味で往十里という地名になり、現在も地下鉄の駅名になっている。
 ・・・のだが! ここ、川幅1キロもある大河漢江のほとりで、当時は橋もかかってないから、使者くん、もうめんどくさくなってエア坊さんに会ったことにしたんじゃないかなーと思えるのだ。
 だって、ちょうど川べりに来たらうまい具合に坊さんに出会い、こんな川渡んなくていいからこのへんに定都しなさいと言われたなんて、出来すぎてません?(笑)
 なにしろ600年以上も昔のことで、移動中の通信手段なんかないから、開城に帰って「偉い坊さんに進言されました」とかなんとか言っときゃバレないもん。私だってあのバカデカイ川にぶち当たったら間違いなくそうする。
 ・・・で、そんなふうに「もうここでいいや」で選んだ場所であるから、土地の平坦率やインフラの作りやすさなどろくに調査されておらず、まあ大河のほとりだから物流には便利なんだけれども、山がちな起伏地形にへばりつくように首都が造成されることになった・・・んじゃないかなー。
 違ってたらゴメン使者くん。とにかく変化の多い地形は散策が楽しいから私は感謝してるよ(←フォローになってない)。

※Ⅴ= ▼鍾路区の仁寺洞付近、民家のスキマを縫う路地。ここはまだどうにかすれ違えるが、1人通り抜けるのがやっとという箇所もある。路地マニアにはたまらない。
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※Ⅵ= 日本の漫画「花より男子」は韓国でも好評で、「꽃보다 남자」のタイトルで販売された。꽃(コッ)は花、보다(ポダ)は「より」、남자(ナムジャ)は漢字語の「男子」であるから直訳であり、双子の言語といわれるほど相似形の日韓両語ならではである。
 ただ、日本の原題は「花より団子」にかけているわけだが、韓国語で団子は경단(キョンダン / 瓊団)なので、「団子⇒男子」のシャレまではさすがに再現されず、「気品を愛でるより恋がしたい」というニュアンスのみが伝わるにとどまっている(日本語学習者が『あっなるほど!』とヒザを叩くのはこういう掛け言葉に気づいた瞬間)(←我々が韓国語を学んでいても同じ)
 ちなみに「より」にあたる「ポダ」は「花より~」のような普通の比較文のみならず、たとえば「よりよい生活」を「ポダ チョウン生活」というなど、日本語と同じふるまいを見せる。


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プロフィール

遠森慶

●国内旅行・韓国旅行・言語・文字・イラスト・共感覚など。

●コミュ障気味なんでコメントは受け付けてません。スマヌ。

●1964年東京生まれ大阪在住。男性。

●pixivをメインに活動しています。
http://www.pixiv.net/member.php?id=12569897

●一応ライター。拙著は書店やアマゾンでご購入いただけます。お仕事のご依頼などは以下のメアドにお願いします。
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