ソウル時間旅行⑤a 徳寿宮と解放村【前編】

前回思いっくそスピったので今回はちゃんと旅行記書きます。

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2泊目。ソウル五大古宮のひとつ、徳寿宮を訪ねた。
景福宮・徳寿宮・昌慶宮・昌徳宮・宗廟の5つからなる古宮は、安定と戦禍、賢政と腐敗をくりかえした李朝の激動をそれぞれ背負っている。徳寿宮がたどった歴史も全部書くと非常に長くなるので、とりあえず

▼もともと王族のひとりの邸宅として建造
▼王宮の景福宮が豊臣秀吉軍によって焼かれたのち、ここが王宮となる
▼その後、王が昌徳宮に移ってからは空き家になる

ということだけ書いとく。ほんで、李朝末の混乱期にはふたたびここが歴史の舞台となり・・・

▼李朝最終からひとつ前の高宗王は、妃の明成皇后(閔妃)が日本軍守備隊と、それに同調する李朝武官らによって殺害され、ロシア公館に避難する。
▼そののち高宗は、空き家になっていた徳寿宮を修繕して住む。
▼高宗の代から李氏朝鮮は「大韓帝国」を仮の国号とし、彼は徳寿宮で日韓保護条約を締結する。
▲高宗の次王、純宗の代で李朝は途絶え、日本統治が始まる。

 私は日韓併合を必ずしも日本の悪手だったとは思わないが、片や王室が断絶、片や天皇家が継承しているという境遇差と、さらにはこの国の南北対立は北だけでなく中国をも抑え込んでいて、それは日本の赤化も防いでくれている。
 こういうことを思うと、徳寿宮を訪れるときは自然に身が引き締まる。

 昭和時代に「38度線を鴨緑江まで押し上げなければ韓国に対し申し訳がない」と言った自民党幹部がいたが、私の韓国観は彼とほぼ同じである。
 さいきんツイッターで自民シンパが韓国のことを「しょせん日本にとっては壁でしかないんだからww」と嘲笑していたが、「壁」がどんなに大切かまるで判っていない。太平洋戦争終戦の目盛りがほんの少しずれていたら日本が戦うことになった事後戦争を、韓国は今も戦っている。半世紀前の自民幹部があんな糞ツイートを目にしたら、あまりの劣化ぶりに泣くだろうな・・・。

徳寿宮1

 硬い話が続いたので、ここからはいつもどおりの脱力文体に戻ります。
 
 徳寿宮の正門(大漢門)では武官の恰好をした男性が不動の姿勢で立っている。
 なかなかラクそうなバイトだなーと一瞬思うが、ずーっと立ってるのってカナリ大変である。観光客に撮影されまくりである。足も痛くなるしトイレにも行きたくなる。成人男性のほぼ全てが軍隊経験者である国なればこそ務まるバイトだなーと思う。

徳寿宮2
▲アジア各国から現代アーティストを招いた展示会がひらかれていた。これは韓国の若手アーチストによる「大韓宴享」。虹色に光る無数の反射板が風にゆらぎ、メタルな七夕みたいな感じできれい。韓国ってこういう古式ゆかしい場所で、敢えて現代アートやっちゃうのが案外好きな気がする・・

徳寿宮4
▲石造殿はイギリスの建築家が設計した白亜の洋館。韓式の殿閣が立ち並ぶ古宮の奥にこれが現れると初めはびっくりするが、他の4つの古宮にはない徳寿宮ならではの名所であり、また世界に大きく門戸をひらいた時代を象徴してもいる。
日韓併合の1910年に高宗の指示で建てられ、彼の居所(きょしょ)としてのほか、外国の要人との会見などにも使用した。そのため内部にはホールや応接室などがある。


徳寿宮3
▲石造殿の前にある英国式庭園。造園当時には「いくら激動期といえ古宮の中にこれはどうよ」という声が噴出したが、今こうして見ると、韓式屋根の小殿閣や緑樹帯、そしてビル群を背にしてけっこう良い具合に調和している。

 石造殿の中では「皇帝の食卓」という展示会が開催されてたので見学した(撮影は控えたので写真はないです)。
 李朝末、大韓帝国時代の皇帝が、この洋館に諸外国の要人を招き晩餐会をしたときの資料展。絵画や書物はもちろん、それを報じた日本の文献や英字紙、さらに当時の宮中で使われていた道具など、多くのものが展示されおり、かなり見ごたえがあった。

 また、館内のホールも同会を再現し、テーブルには資料に基づいた配置で銀食器やグラスなどが並べられていた。それらは昔式の薄暗いランプに照らされて雰囲気たっぷりで、なんだか今から皇帝たちが入ってきて、新時代の前夜会議を催しそうな錯覚にとらわれた。

 同会を描いた絵画によれば、日本から参席した要人は二人いて、ひとりは何と皇帝のとなりに着席している。もうひとりは少し離れた位置だが、隣席に妓生(キセン)を侍らせている。妓生とは王朝の高級芸妓であり、これを侍らせているのは日本の要人だけ。かなりの高待遇を受けたことが判る。

 また、西洋からの要人がこの晩餐会をどう記録したかもパネルで解説されていた。同会はナイフとフォークによる洋式の食事だったが、韓国料理も出されており西洋人たちに好評。そして要人のひとりは「東洋人は味に対して無知なのではない」と英字紙に書き、当時の西洋におけるアジアへの偏見を正している(ただ『味に無関心という傾向はある』とも書いている。黒船のペリー一行も日本料理について同じような感想を漏らしているが、味覚というのはある程度なじんでからでないと理解しづらいのかもしれない。1世紀以上たった現在、アジアの味がすっかり世界化したことを考えると特にそう思う)

 徳寿宮を出て昼飯にしようと思ったが、この周辺はカルビ焼きとか鍋料理など、ガッツリ食べる系のレストランが多く、どちらかというと晩ごはん向きである。軽食屋をみつけても、市庁やら何やらから排出された人々で満席だ。
 途方に暮れてうなだれたら、ちょうど地面に穴があいてたので、とりあえずもぐりこんで行って地下鉄に乗った。

 嫁さんが行きたがってる毛糸玉型ケーキのカフェが龍山洞にあるんで、そのままコレイルに乗り入れて龍山駅。そういやここの駅ビルのフードコートは充実してんだよなー。
龍山
▲明洞マンドゥとかいう店で、私はフェ・ピビンネンミョン(鱠ピビン冷麺/エイの刺身が載った混ぜ冷麺)、嫁さんはマンドゥクク(もっちりした肉まんの入ってるスープ)を食った。

 写真はマンドゥクク。真ん中に見える牛肉は糸状に細かく切ってあって、これのダシがスープに猛烈に効いている。
 以前も述べたとおり、韓国では自動車以外すべてのものが日本の1.5倍デカく、料理は特にそれが顕著なので嫁さんは食いきれなかった。なので残りはありがたく頂いたが、もううまいのなんの。
 とにかく韓国旅行はメシがうまい。食いすぎてカロリーオーバーになって困るが、件の1.5倍は「街」にもいえるので歩数もアップし、ちゃんと消費されるというわけで、世の中なんともうまくできているのである(適当)。

食後は駅前のタクシー乗り場。車体に寄りかかりながらタバコふかしてる運ちゃんに
「お休みのところ悪いんだけど、乗ってもいい?」
 と声かけると
「あっすみません、どーぞどーぞ、さあどーぞ!」
 と恭しくドアあけてくれるので乗り込んだ(日本以外のタクシーのドアは手動)。ああ、休憩というより退屈してたのか。そこに妙な韓国語を話す日本人夫婦が来たので面白がってくれたようだ。実によい。

 ほんで、毛糸玉型ケーキのカフェとやらがある場所へ。山の斜面にあって最寄りの駅やバス停がない。そのうえ道がややこしい。でもまあGPSのおかげで近くまでたどり着けた。あとはクルマどころか自転車も入れない路地を伝ってどうにかこうにか。

解放村6
▲もと毛糸工場だった建物を改装したカフェ「ル・モンブラン」。昔の思い出を残そうということで毛糸玉の形のケーキを作っていて、この店の名物になっている。
 密集する民家のスキマを縫う路地、というかもうお勝手通路みたいな急坂の途中にある。見つけにくいことこの上ないが、ネットで情報交換しあう日韓のカフェ巡り女子たちに大人気。韓国でカフェ巡りはカペ・トゥオー(カフェツアー)という。

解放村1

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ラズベリーケーキ。中身は半冷凍のラズベリー入りチョコレート。しゃりしゃりの冷たいラズベリーと、生チョコの濃厚な甘み!! チョコレートはすばらしいですねい!
血糖コントロール中のワタシであるが、もう来月医者に叱られてもいいやと思うほど美味かった。

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▲嫁さんのはココナッツケーキ。中身はムース。ひとくちもらったけど結構みっしりしたムースで、これもカナリ美味。

ボタンと下敷き板もチョコレートで、食べられる。
 それにしてもコレ、半球のカタを上下から合わせる形で製造されてるんだけど、接合面が見えないでしょ。かなり拡大して、どうにか球体を一周するわずかな出っ張りが確認できたような次第。見事です。

解放村5
▲店内には毛糸工場時代のミシンが保存されている。
スリムな電子機器に囲まれて暮らしてる今、こういう機械機械した物体を見ると、何だかぞくぞくする♫

解放村2
▲落ち着いたデザインの店内に、毛糸玉ケーキが描かれたクッションが置かれ、すっかりおしゃれな隠れ家カフェである。
改装前はここも、窓から見えるレンガ壁の、年季の入った建物と同じような感じだったのだろうと思う。

以下後編に続きます。しばらくあいだがあくと思うけど気長に待たれい(^^)/



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プロフィール

遠森慶

●国内旅行・韓国旅行・言語・文字・イラスト・共感覚など。

●コミュ障気味なんでコメントは受け付けてません。スマヌ。

●1964年東京生まれ大阪在住。男性。

●pixivをメインに活動しています。
http://www.pixiv.net/member.php?id=12569897

●一応ライター。拙著は書店やアマゾンでご購入いただけます。