ソウル時間旅行⑤b 解放村・印刷屋街・空港鉄道

前回の毛糸玉ケーキ編からだいぶあいてしまった。もし待ってたという奇特な方がおられたらゴメンナサイでした。今回は龍山区の「解放村」散策と、翌日の帰国までです。

毛糸玉ケーキのカフェは急勾配の階段路地にあるのだが、カフェの向かいには別の路地に抜ける「穴」があいている。穴をくぐってそちらに移ってみた。こちらは平坦で、屋根から観葉植物が下がり、やはり旧態をほどよく残したままおしゃれ化している。ガラス張りの紅茶店やベーカリー、70年代のドラマに出てきそうな洗濯屋や乾物屋。
 こういうところで古びたままの店は、わざとなのか、それとも本当に無精なのだろうか。日本のレトロ街でも同様のケースはよく見かけるが、店主の意図を推理するのはワタシ、結構好きである。

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カフェ前の階段路地から平坦な路地に抜ける短絡通路。超過密住宅地を縫う2つの路地の接近部分に「穴」をあけて通れるようにしたような感じ。左は西洋人がやってる紅茶店。

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椅子やテーブルが適当に配され、なんとなくくつろげるようになっている。どこかで車道と階段無しでつながっているとみえ、スクーターがときどき入ってくる。

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右:「日星商会」(音訳)。ダシダの古い商標がレトロ感を高める乾物屋。店頭の蛍光灯や商品の陳列ぶりが実にいい。ダシダは70年代からある粉末ダシで、日本の「ほんだし」に強く影響されカツオ味からスタート。のちに牛肉味も創作して韓国式調味料の代表格となり、最近は日本に里帰り 輸出している。
左:「パゲット・ガール」。「ン」にかけてバゲットを「ゲット」にしている。ちなみにパンはポルトガル語のpãoからきた日本語で、この語を使う外国は韓国と北朝鮮。


さて、この町の「解放村」という愛称だが、これは言うまでもなく急激な近代化の中で、昔の町並みを見ると「あー、まだ大丈夫だわー」とか何とか、漠然と安心することに由来する。
 90年代までは本気の貧民街がまだあちこちにあり、当然好きこのんで行く場所ではなかった。だが絶滅危惧種になってくると、たとえ観光化されててもいいから残っていて欲しくなる。こういう、人間のご都合主義なところ、私は大好きである(というか、私がまさにそのタイプだ)
 また、解放村は眺めがいい。丘の上なので都心部を一望でき、ソウルタワーもすぐそばに見上げられる。

路地の下はバス通り。急勾配やカーブが多いうえ、道幅も狭いのでマイクロ型が走っている。この路線を飼いならせばタクシーを使わずともここに来られるんだけど、どこ発でどういうルートを走ってるのか、サボを見損ねた。まあそのうち捕獲することにしよう・・・。

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慌てて撮ったのでブレ勘弁。解放村を走る小型バス。フル3Dの韓国アニメ「꼬마버스 타요」(邦題 ちびっこバス・タヨ」をイメージした目と口がついている(車体ごとにいくつかの表情がある)。

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「ちびっこバス・タヨ」の一場面。青いバスがタヨ、赤いダブルデッカーはソウルシティツアーのシトゥ、手前は路面電車のトゥレミ
(tram+i)。ほとんどのキャラは韓国に実在するがトゥレミは架空で、バッテリー式・片運転台のLRV(ホーム奥に転車台が見える)。都心から南山中腹まで登るので、実在してくれれば解放村へのアクセスになる。꼬마버스 타요  第4期9話『トゥレミの初運転』Iconix Entertainment・EBS・ソウル特別市)

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坂道につけられたボードウォーク。トゥレミは高出力な女の子で、このあたりをすいすい登る。専用軌道はないようだがクルマの進入禁止はよく守られ、定時性が保たれている・・はずなのだが、恥ずかしがり屋でよく悩むので遅れる。甚だしくは鉄輪をゴムタイヤに履きかえ、軌道外をタヨたちと走り回って管制センターを困らせた(笑)。

ーーで、タヨは通り過ぎてしまい、停留所も見当たらないので、私らは眺望抜群のボードウォークを歩いた。でもこの道がどこに下りるのか判らないので、ちょうど通りかかったタクシーを止めた。
「チュンムロ! カヨ!?」(忠武路!行く!?)と、大声で運転手に尋ねる。こちらのタクシーは、日本のようにシートに落ち着いてから「あー、梅田、阪急のほうね、お願いしまぁす」なんて格調高く申告する乗り物ではない。

80年代の高度成長期、タクシー運転手は薄給で、効率よく稼がないとやっていけなかったため、行先と金額で客を選んでいた。だから当時の客は、タクシーをまず減速させ「◯◯洞ッ! ◯◯ウォンで行く!?」と大声で伝え、承諾させてから乗り込んでいた。
 いまは行先で断られたり、後ろからクラクションを鳴らされたりすることはまず無いので、もっとおだやかに乗り込んでもいいのだが、なんとなく習慣としてこういう乗り方が定着している。目的地を叫び(韓国語発音の練習になるので案外楽しい)、走り出してから「忠武路のドコソコ」とピンポイントを告げる。価格交渉はメーター制が守られるようになったため必要なくなった(※1)

私らが乗ったタクシーはジェットコースターの勢いで丘を下り、大通りをサーキットと間違えながら疾走した。初老の運転手はにこにこと世間話をしてくれながらも、韓国名物カミカゼ運転(※2)の例に漏れなかった。
 私は宿のある「忠武路2街」を間違えて「3街」と言ってしまったのだが、運転手氏はしっかり宿の看板を見つけてくれ、「あ、ここですねー」と呑気に言った。言うやいなや、3街に向かう中央車線から横丁に向けてキューンと急旋回し、宿の玄関につけてくれた。片輪が浮くのではないかというほどの旋回で、ドアに貼りついた私の上空から嫁さんが降ってきた。
 タクシーに翼がはえて飛んだり、雪のゲレンデを走ったりする映画「TAXI」を韓国がリメイクしないかなと、私はかなり期待している(というか、実際にゲレンデくらい走りかねないのである)

宿でひとやすみし、晩飯はゆうべ気に入った釜山料理の店を再訪した。ソウルで二度も釜山料理を食うことはないんだけど、それほどに美味かったし、なんだか海鮮ジョンと豚カルビが食いたい気分だったから良いのだ(両方とも釜山名物)。
 ジョンは漢字の「煎」であり、たくさんの具材を少量の生地にまぜて薄く焼いたもの。日本では北朝鮮方言の「チジミ」で呼ばれるが、韓国のは非常にやわらかく(フワフワではなくトロトロ)、具材の風味が完璧に保たれているのが特徴だ。とろ火でゆっくり焼くからだろうか(ゆえにオーダーしてからかなり時間がかかる)
 この店のジョンは本当にうまかったので、テイクアウト用にキムチジョンを追加オーダーした。宿に戻る途中に粉食店があったので、そこでもノリマキと餃子を包んでもらった。そして宿に着き、しーんと静まり返った深夜のソウル(※3)を眺めて夜食を楽しんだ。

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手前は豚カルビスープ。ご飯を入れながら食べる。「ぜひアミの塩漬け(右脇)を入れて下さい、入れすぎると辛くなるので注意して下さい、ほんとに注意して下さい」とおかみさんが顔をずんずん迫らせながら勧めるので、ご指示に従った。豚カルビの内陸的こってり感を、アミの海洋性のしょっぱさが中和してくれて一層美味。ソウル式だとこれは岩塩になるのだが、釜山式はアミの塩漬けで調味する。
 奥はニラ入り海鮮ジョン。円周部の緑色はニラであり、ほかにエビやらイカやら貝やら、いろんなものが入っている。卵でつないだ小麦粉の生地はとろとろに柔らかい。ゴマ入りの旨味ダレをつけて食べる。適宜コチュジャンを混ぜてもOK。合いの手のキムチや生唐辛子などはサービス品なので、好きな作法で好きなだけ食べればいい。


翌日は帰国日だが夕方の便なので、午前中は宿のまわりを散策した。このあたりはかつて日本人街だったから、20年くらい前までは日本家屋だらけの路地があった。家々はたいてい印刷屋を営んでいて、和式の玄関の奥からガシャンガシャンと輪転機の音がしていた。しかし老朽化が激しく、近いうち再開発されるだろうなと思っていた。そして予想通り、今ではすっかり鉄筋ビルの森に変わってしまった。
 だが印刷屋が多いのは当時のままだ。日本ではネットの普及以降、印刷屋街は散逸したが、こちらはそうでもなく、忠武路駅~乙支路3街間の道(※4)を中心とする一帯には印刷関係の店がひしめいている。むかし東京や大阪でこの業界に身を置いた私は、「印刷」「デザイン」「出力」などの看板の多さに感激し、嫁さんが制止しなければ「バイトさせて!」と飛び込むところだった。
 むろん韓国でも書籍文化はネットに食われている。しかし、ステッカーだのチラシだの、ノボリだの懸垂幕(横断幕や垂れ幕)がやたら多い国であり、中小零細はそこに活路を見いだしている。

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出力センターだらけ출력=出力)。右から二軒目の黒い看板には「大型実写出力」と書いてある。少し奥には紙屋があり、漢字の看板を掲げている。この町の名物、配達用の改造バイクが歩道を走ってくる。

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忠武路駅前のカフェから何気なく撮った風景にも、出力センターや配達用改造バイクが写っている(よく見ると3台もいる!)。左のビル、二階部分の看板は日本語併記。確かにこのあたりには気のきいたシティホテルが続々オープンし、日本人の往来が増えたけど、看板見て出力頼む人なんて居るかなあ・・・(「日本語の出力もできますよ」と内国人にPRしてるのかも)

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韓国ではバイクの業務目的改造がわりと大目に見られているので、ヤル気のある町工場ではこれくらいやっちゃう(セリフ訳『うはは~ 俺はオートバイ改造の天才じゃ~!!』)。
 歩道走行の黙認も含め、バイクの取り締まりが甘いのは事実である。ただ「ブルーカラーが乗るものとして忌避され普及しない」という説は、かつて私も信じてしまったが今考えるとだいぶ怪しい。いくら両班的矜持が残っているとはいえ、そんな忌避の仕方があるだろうか。
 これ、遡るとどうも出どころは、北朝鮮にエールを贈り韓国を見くだしていた頃の日本のマスコミだ(また韓国も日本が報じたことを素直に信じちゃうのだ)。ブルーカラー云々なんて、いかにもあの頃の「進歩的文化人」が考えそうな価値観である。
 韓国に自転車やバイクが少ないのは、岩盤地層で緩やかな坂が造りにくく、急坂や階段が非常に多いからだろう。日本でも、たとえば山の斜面に住宅地がへばりつく長崎市は、韓国より路地の状態がはるかに良いのに自転車普及率が他市よりもかなり低い。


 散策を終え、宿で荷物を受け取ってソウル駅へ。空港鉄道のソウル駅には都心空港ターミナルが併設されていて、ノンストップ列車の利用者は飛行機のチェックインを済ませられる。空港と同じ機能を持っているので、荷物も預けられる。
 預けた荷物は自分と同じ列車、同じ飛行機に積まれ、目的地まで運ばれる。私らの場合は関空まで手ぶらで過ごせるわけだ。しかも仁川空港の出国ゲートは専用通路を通れるので並ばずに済み、何ともありがたい。
 ちなみにノンストップ列車の種別は「直通」。むかしの日本で急行便を意味した俗称が残っている(少し前までKORAILの京釜京仁線の急行が『直行』を名乗っていたのと同じ)。明治生まれの私の祖父母が国電の快速を直通だの直行と言っていたので、これは懐かしい。

 軽装になり、昼ごはんを食べに行く。空鉄ができるまであまり行く機会がなかった駅裏で、どこの何がうまいのか見当がつかない。
 昼どきなので駅ビルからたくさんの職員が出てきた。職員食堂のスタッフらしき、調理用白衣の男女グループが「何食べる?」「チャジャン麺」「チャンポン」「中華いいね!」と話しながら歩いており、調理スタッフが行くところなら美味いだろうと確信したので、あとをついていった。こういう私の発想と行動を、嫁さんは面白がってけらけらと笑っている。いや、きわめて妥当な行動だと思うんだけど・・。

 一団は大通りから古びた横丁に折れ、穴蔵のような入口から中華料理屋に入った。リルの時代の上海にでもありそうな、薄暗くてエキゾチックな食堂だ。
 そう・・ようやくエキゾチックなのである!
 どうしてこう、韓国旅行には海外の緊張感がないのだろう!(←喜んでる)
 国内気分とまでは言わないが、並行世界を旅するようではある。どこの街角に立っても、すべて見覚えがある。
 かつて日韓がともに作った時間が、韓国では今も続いている。加えて、もともと同祖だったものや、古墳時代からの交流によって共通化した文化が多い。ハングルも、読めてしまえば日本語と同じことが書いてあると気づき、その激似ぶりに薄ら寒さすら覚える。
 だもんで、韓国ではろくに異国気分になれやしないのである(←念を押すが喜んでる)

 中華屋で私はチャジャン麺、嫁さんは水冷麺を注文した。予想通り、とてもおいしい店だったが、前者は韓式中華、後者は韓国料理なので、やっぱり並行世界に引き戻されてしまった。
 このあと、空港鉄道で仁川、飛行機で関空へ飛び、二泊三日の旅を終えた。この中華屋があるソウル駅裏の都市伝説は、長文となるのでまたの機会に・・・。

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中国風の椅子や赤い壁紙、外の石塀などがいい感じにエキゾチックな中華料理店。でもよりによって韓式チャジャン麺(タクアンをかじりながら食べる)と、水冷麺(中国では好まれず日韓では好まれる冷たいそば)を注文したので、日傘をさしたリルが通りかかることはなかった。

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パルボチェは八宝菜、タンスユクは糖水肉(酢豚)であり、韓式漢字音だから理解できる。だがシャクスピンやユサンスルって何だろう。メニュー写真が色あせていて料理が判然としないけど、きっとこれは中国音なんだろうな、ああ異国のかほり・・と喜んでいた。
 しかし帰国後に調べたら、シャクスピンはShark's fin、つまりフカヒレであった。なんでそこだけ英語なんだよ!と思ったが、日本でも
北京烤鴨(ベイジンガォヤー)をペキンダックと言うが如しか。
 ユサンスルは溜三絲(海鮮・肉・野菜炒め)だと判ったが、これは激しい混合読みで、ユ=韓音、サン=中国音、スル=創作音である。韓音でサ、中国音でシとしか読まない「絲」をなぜスルだと思ったか。たぶん訓読みのシル(いと)を無意識に中国風に訛らせたのではないかと思う。

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空鉄の直通列車内。鴨居部の表示で列車案内、両脇のモニターで飛行機の離発着案内を日韓中英の4ヵ国語表示する。2ドアのリクライニングシート車で直通専用だが、6月現在、コロナ事態で運休中なので各停運用に入っている(4扉車用ホームドアは中間2つを閉鎖して対応)。2007~10年 現代ロテム製。

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空鉄の各停(2008年、桂陽駅)。側面は直通車とかなり異なるが、正面はほぼ同じ形状(直通車は藍色+銀色、オレンジの帯)。できるだけ空港輸送に特化するため、63キロの距離を途中駅12に抑えており、各停でも約1時間で着ける。しかし事前チェックイン&荷物搬送サービスが好評で、割高な直通利用者は多い。
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※1 メーター制  ぼったくり事例が根絶したわけではないので、深夜の繁華街で客引きをする怪しげなやつは避けたほうがいい。また、田舎では慣例として料金交渉をするところもある。都会でも、何時間か借り切って観光スポットを回るときなど、交渉したほうが正規料金より安くつくことがある。

※2 カミカゼ運転  トゥッコン・カミカジェ(特攻・神風)の語に嘲笑の意味を込めず、普通に使う唯一の外国が韓国であることは意外と知られていない。歌謡特攻隊だの特攻商戦だのいろいろある。深夜の終着駅からさらに遠くのニュータウンまでカミカゼ運転するタクシーは「特攻タクシー」という。

※3 深夜のソウル  大きな繁華街を除き、0時をすぎると人通りがパタッと途絶え、これがあの熱狂都市かと思うくらい森閑とする。軍事的理由で1982年まで(海浜部と休戦ライン付近は88年まで)存在した夜間外出禁止(通禁)が習慣化しているのだ。バスの終夜運転も、24時間営業の店もあるのに異様に静か。遠くのパトカーのサイレンを聞きながら、通禁時代を空想するのはマニアックな情趣がある。当時は禁を犯してノリマキ(キムパプ)を売る子供の「き~んぱ~、きんぱっ」という売り声が路地に響いていたそうなので、夜食にはノリマキがいい。

※4 忠武路駅~乙支路3街間の道  地下鉄3号線が下を走る道路。いつからか「忠武路」の標識が見られるようになったが、本来忠武路とはこの道に交差する本町通りを改称したものなので、これは忠武路ではないはず(エリア名も忠武路なので、この道もそう称することにしたか)。印刷業界が好きな人は一度散策されたし。

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プロフィール

遠森慶

●国内旅行・韓国旅行・言語・文字・イラスト・共感覚など。

●コミュ障気味なんでコメントは受け付けてません。スマヌ。

●1964年東京生まれ大阪在住。男性。

●pixivをメインに活動しています。
http://www.pixiv.net/member.php?id=12569897

●一応ライター。拙著は書店やアマゾンでご購入いただけます。